ユルユル女子のつぶやき。

ex.Baby Leaf│ex.バンドマン│のひねくれた性格からエッセイ的なの書いてみました。

「父、彼氏反対運動。」

最近の父は彼氏反対運動が凄い。

今まで「どーせ別れるやん。」って言いながら

笑って放置してた父が「出ていくことは許さん!」って言うということは

ある意味少し信頼を置かれたような気がして

ちょっと嬉しい娘です。

 

 

お父さん、やっぱり一人娘を失うのは寂しいようで

誰も"結婚する。"なんて言ってないし

"いつから同棲する。"とか決めてないし

まぁいつか名古屋行きたいな〜って言っただけで

ピーピーピーピー。笑

 

 

初めて父に愛されてるような気がしました←

 

 

そんなもんなんかなぁ、男親って|ω・)

 

 

ちなみに母は、

「まじどの口が反対しとん。」

「うちの親泣かせてまで結婚押し切ったくせに。」

と、逆に父がキレられる展開にいつもなります。

 

 

そのせいで

「老後まじ2人とか無理。。なんなのこいつ。。ペラペラじゃねぇか。。」

 

 

母、離婚の危機。

 

 

母が結婚したのは23歳。

私は22歳。

そう考えると、もう本当に結婚してもおかしくない年齢なんだなぁと思うと

まじ、クソ。自分。って超思います。

 

 

思い描いてた23歳ってこんなんじゃなかったぞ…。

 

 

思ってたのと違う。

人生なんてその繰り返しなのかなぁと思います。

それもある意味壁だよね、ぶつかるタイプのさ。

 

 

結婚は忍耐、と母は言ってますし

もちろん同棲も忍耐だと思ってます。

 

 

私に大きく足りない"忍耐"という心。

自分の忍耐力を養いたいと思う最近です。

何でもかんでも三日坊主。終わってる。

三日続けばもはやいい方。

 

 

この彼氏反対運動は私がしっかりすればするほど

激しくなっていくことと思いますが

通らなきゃいけない道なんですね~笑

 

 

なんか楽しいです。笑

 

 

母いわく、

「自分が親泣かせてきた分、てめぇに返ってくるんだよ。クソが。」

らしいです。

 

 

…私、やっぱり忍耐力つけなきゃ

母親にはなれないですね( ̄▽ ̄)ハハハ

 

 

高校生になった娘が彼氏の家に入り浸りませんように…。今から祈る。

「ただの主婦な話。」

けど、どうしても書きたくなった。

只今左足首の靭帯を切っているため

名古屋に住む彼氏宅で主婦業を勉強してます。

 

 

一人暮らしもしていたはずなのに

今更すごい学んでることがあります。

 

 

それが「節約」

 

 

芦屋生まれ、芦屋育ちの1人っ子お嬢様は

お金に関して何不自由なく育ち

両親ともに家事も完璧に出来るため、

家事も料理も何もしたことがないまま

大人になりました。

 

 

成人祝いでもらった150万を手に

急に一人暮らしを始めたのは20歳の時です。

 

 

洗濯を回すのも料理も見様見真似。

でもそれ以外の事はちゃんと見ていた記憶さえありませんでした。

滞る家事、滞る掃除。

もう日々がわけわからんことになっていた時

次に襲ってきたのは光熱費と家賃です。

 

 

そもそも光熱費って何?レベルの私は

ガス代、電気代、水道代がどれぐらいかかるかを

全く知りませんでした。

家の光熱費とか見たことも聞いたことも無かったんです。

 

 

光熱費も家賃も全て親に払ってもらってました。

 

 

ちなみに未だに携帯代は払ったことありません。

いくらか知りません。

 

 

そんな私が一人暮らしを続けられるはずもなく

親のすねをかじってるという引け目もあり

のこのこと実家へ戻りました。

 

 

そしてまぁバンドも終わり、

怪我で仕事に行けない私は

名古屋の彼氏の家に一人暮らししてた時のもので

実家には必要の無い家具やらなんやらを

全て持っていき、

 

 

マジこれ人住んでんの?ってぐらいに何も無かった家を家にしようと頑張ってみました。

 

 

で、家になったお家にいると

自分の家具に囲まれたお家が居心地良くて

なんかずっと居座っちゃってる今です。

 

 

本来なら三日ぐらいで帰る予定だったので

今回の名古屋遠征は予算3万と決めてました。

それは彼の家に足りない家具やらキッチン用品やら

全てを揃えるお金も含めて予算3万でした。

 

 

さぁ、その中で晩御飯を食べ、生活をする。

 

 

私にとっては初体験の出来事でした。

お金を計算しながらご飯を考え

お金を計算しながら1日のスケジュールを組む。

 

 

そして買い物に行った私は驚いた!!!

 

 

ウインナー高くね?!

豚肉って切り落としの方が安くね?!

もやし安くね?!

え、おやつって高くね?!

おやつ買うなら野菜もっと買えるくね?!

 

 

いろいろ大発見すぎてびっくりでした。

おかげで冷蔵庫の物は腐らせずに使いきれるし

"使わないで腐れば捨てたらいいじゃん。"

"また新しいの買えばよくね?"

って思ってた自分が怖くなりました( ゚ー゚)

 

 

昨日、質問箱の質問で

「彼氏さんのどこが好きですか?」

ってあったので西野カナの歌詞を書きましたけど

 

 

付き合った時はお互い「付き合ってみよーーー」

ぐらいの感じだったと思うんですよ。

二人ともボーカルなんで

そこそこ口もたつだろうから理由はいくらでもつけられるだろうけどね笑

 

 

でもね、あの人お仕事すごい頑張ってるのよね。

楽しいのと同じくらいしんどい事もあると思うの。

帰る時間もまちまちだしご飯もちゃんと食べてるのか危ういし、それでも毎日休まずにお仕事行ってるのよ。

 

 

私も頑張らなきゃなって思ったんよな~。

 

 

今仕事行けないから

私が出来ることはあの人を一生懸命サポートする事で、

大人しく帰りを家で待ってる事だと思うの。

 

 

節約しながら、彼の負担にならないように

プラスアルファーの彼女であれるように

 

 

頑張ろう。って思っている所存であります|ω・)

 

 

私は今までクソみたいな生き方をしてきましたが

どんな欠点も裏返せば武器になる。

一回本気で誰かの事、自分の事、

信じて頑張ってみようと思います👍

 

 

以上。笑

「95年生まれの子供たち。」

今日は3月11日。

7年前の今日、私は中学校の卒業式でした。

泣き泣き卒業式を終えて帰ると

テレビには大きな波が街に押し寄せ

みんなが困惑してる様子が流れていました。

もちろん私も家族もテレビ越しに困惑してた記憶があります。

 

 

どのチャンネルも同じ話題ばかり。

 

 

東日本大震災」でした。

 

 

私たち95年生まれは

"阪神淡路大震災の年の子"として

小中学校でたくさん地震について学んでいます。

 

 

全壊した家、全焼した家、1階が潰れた家、斜めに傾いた家、無事だった家。

倒れた高速道路、焼け野原のような長田区、

その中での奇跡の救出劇や、人々の繋がり、絆もたくさん調べました。

 

 

あくまでも地震の年に"生まれた"子供なので

地震は経験していませんが

下の世代に伝えていくため、少しでもその恐怖を理解し今後に備えるため、お勉強をしたと思います。

 

 

ですが、東日本大震災阪神淡路大震災

大きな違いは、火か、水か、だと思ってます。

 

 

火災についてたくさん調べ学んだような記憶がありましたが、

水、つまり津波について学んだ記憶はあまりありませんでした。

 

 

だからこその衝撃だったんですよ、あの映像。

めちゃくちゃ怖かったです。見てるだけで。

 

 

人は膝まで水位があれば溺れます。

私もぼーっとしててお風呂で溺れかけたことがあります。

水は思ってる倍怖いです。

 

 

子供の水難事故防止のためにスイミングに通わせる親も多いですし

実際、私も子供が出来たら確実に通わせたいお稽古ナンバー1が

 

 

あの津波きて、スイミング習ってたから大丈夫だった、なんてことあると思いますか??

私は絶対ないと思います。無理です。

 

 

じゃあどんな高さの建物に逃げればいいんだろう。

津波警報からどれぐらいの時間で逃げなきゃいけないんだろう。

何を持って逃げればいいんだろう。

 

 

やっぱり私たちもこの震災から学ばなきゃ。

たくさんの人が怖い思いをして

こうしたらよかった。あぁしてよかった。と

たくさんのことを残してくれています。

 

 

今日もテレビでたくさん特集があると思いますが

別に絶対それを見ろとかではなく

ふとした時に、

地震来たらどうしたらいいのかな」

って調べてみるのもいいんじゃないかなと思います。

 

 

備えあれば憂いなし。です!

 

 

私はかなりのビビリなので

夜寝る前は今地震が来たらどうしよう。

どうやって猫達を守ろう。とずっと考えてますが、(ガチで)

全然冷静でいられる気がしません。

 

 

というのも、ちょっとした震度1とかでも

分かるぐらい敏感で

そういう時何も考えられなくなるからです。

 

 

「怖い、怖い、死んじゃう、どうしよう、怖い。

今は初期微動の段階でこのまま大きな横揺れが来て、あぁ!このまま縦揺れになったらどうしよう。」

 

 

22年前は母が私たちを守ってくれました。

でもそんな"阪神淡路大震災の年の子"と言われた私達も、もう大人です。

 

 

次は自分たちが守る番。

 

 

冷静な判断と学んできた知識で

しっかり守りたい人を守れるような大人になっていきたいです。

 

 

きっちりと地震に備え、

いつ地震が来ても大丈夫だと思えるぐらいの準備をできるような、そんな世の中になればいいなぁと思います。

 

 

7年前の今日を忘れず、

もう1度、地震津波についてしっかり考える、

そんな夜を今日は過ごそうと思います。

「真性ビッチが、叫びたがってるんだ。」

1995年12月5日。

大阪鶴橋、聖バルナバ病院で生まれた、

綺麗なお姫様に憧れるお喋りな少女がいました。

 

 

少女はいつか自分もあの童話に出てくる

シンデレラのように

かっこいい王子様と大きなお城で暮らすのだと

夢を見ていました。

 

 

年長組さんになった頃、好きな人ができました。

6歳年上、小学6年生の少年でした。

バレンタインにチョコを渡しに行きました。

彼は彼なりのホワイトデーを返してくれました。

 

 

その頃幼稚園の同じクラスの少年に告白されました。好きになりました。

貝殻が好きな彼は貝殻のネックレスをくれました。

 

 

私は貝殻とホワイトデーのお返しを比べました。

王子様はどっちなのか。とても悩みました。

私は寂しくないようにいつも一緒にいれる同い年の少年を選びました。

 

 

小学生になると私立に行ってしまった彼とは会えなくなりました。

彼は永遠の王子様ではありませんでした。

 

 

小学校3年生になった春、転校生が来ました。

転校生のその少年はとても親しくしてくれました。

初めて彼氏が出来ました。

学校帰りに公園へ行きました。

ブランコに乗った彼は「暑い…」というと

着ていたシャツのボタンを外しました。

 

 

初めて好きな人の上裸をみました。

引きました。

あんな子の彼女と思われるのが嫌になりました。

 

 

翌日、別れを告げました。

 

 

中学生になりました。

 

 

同世代と話が合わない。わからない。

何気ない一言が生み出した

悪口、陰口、陰湿、暴言、チェーンメール、迫られる選択。

 

 

学校へ行かなくなりました。

王子様とは出会えませんでした。

 

 

高校は女子高でした。

王子様とは出会えませんでした。

 

 

高校をやめてバンドを始めました。

私は思いました。

 

 

"いろんな国のかっこいい王子様がたくさんいる。"

"私の王子様もきっとここにいる。"

 

 

「あなたは王子様ですか?」

「そう見えるかい?」

 

「あなたは王子様ですか?」

「お城に興味があるの?」

 

「あなたは王子様ですか?」

「君はお姫様なの?」

 

「あなたは王子様ですか?」

「さぁ、どうだろうね。」

 

「あなたは王子様ですか?」

「あなたは王子様ですか?」

「あなたは王子様ですか?」…

 

 

騙されても馬鹿にされても彼女は必死に探し続けました。

時には人をかき分け、時には人を踏み台にして。

 

 

ふと周りを見渡しました。

聞こえてきたのは"ビッチ"。

 

 

どうして私はこんなに嫌われるんだろう。

どうして私は人と違うんだろう。

どうして私はみんなと仲良くできないんだろう。

 

 

ただ。幸せになりたいだけなのに。

 

 

それでも少女はもう止まることさえできず、

失っていくものにも気付かず、

ただひたすらに走り抜けていきました。

 

 

そして彼女が全てを失った日。ふと気づきました。

後ろを振り向いたんです。

 

 

そこにはつまらないたくさんの経験。

なんの自慢にもならない経験。

数だけの中身のない経験。

今後の人生に悪い影響しかない経験。

 

 

今冷静に見てみると私が永遠の王子様と出会えなかった一番の原因は

「自分の幸せしか考えていなかったから」だと思います。

 

 

本物のシンデレラは

継母や義理の姉にどれだけいじめられても

弱音を吐かず今ある現状を受け入れ、悲観せず、ただひたむきに日々を生きていました。

その中で王子様と出会えると信じていたんです。

 

 

シンデレラになりたい私が憧れるべきは

成功したシンデレラではなく

成功する前の、一生懸命に生きているシンデレラでした。

 

 

 

 

あなたは忘れてないですか?

 

あのバンドみたいになりたい!

あのバンドみたいに売れたい!

あの人みたいに幸せになりたい!

あの人みたいになりたい!

 

 

あのバンドが、あの人が

どれだけの苦労と我慢を耐えてきたんだろう。

そうなるまでの道のりを耐えられる心が自分にあるだろうか。

 

 

どうか私のみたいにならないでね。

 

バンドをやめて

大切な人を失って

大切なものもたくさん失って

 

 

最後の最後に気づかせてもらいました。

"シンデレラ。"

最後のシングルでよかったなぁと改めて思います。

 

 

これからも

Baby Leaf 4th single "シンデレラ。"

たくさん聞いてほしいので

フル音源を上げました!!

 

 

https://youtu.be/hI5CtsfCP54

 

是非聞いてみてください🙆✨

長々とありがとう✨

「解散」

そんな危機は3回ありました。

Baby Leaf発足から5ヶ月。

当時の彼氏とも結婚したかったし

打ち上げでアラサー女子の先輩から

「バンドやっていきたいなら女としての幸せは捨てないとダメだよ」って言われたし

不安になりました。自分の将来が。

彼氏にもバンドやめて結婚しようって言われたし

何よりこんなモサいメンバー3人で売れるわけないと思ってました。自信がなかった。

 

「辞めたい」と伝えました。

メンバーは「やめて欲しくはない。」と言いました。

彼氏はライブハウスのスタッフだったので

その人に頭下げに行くとか言ってました。笑

 

その日のライブで越谷のKAKASHIと対バンして

"愛すべきくだらない世界"を聴きました。

「例えば僕らが目指した未来は、僕らには手に入れられない未来だって、気づいたら諦める理由にはなるだろう。例えば僕らが生きてる今日が未来に繋がるなんて信じられなくってでもいつかって止まりそうな足を踏み出していく」

 

 

私は諦める理由をたくさん作ってただけなのかな。

バンドやめたくないな。頑張りたいな。

KAKASHIみたいにかっこいいライブしたいな。

 

 

そう思いました。

 

 

もう覚えてらっしゃらないと思うけど

ボーカルの堀越さんにメロディーを褒めてもらってもったいないって言っていただきました。

それから売れなさそうな私たちだけどかっこよくなって売れてやるって決めました。

 

 

そこからは自分に迷いなんてなーんにもなかった!

 

 

eo music try2016の決勝に出ました。

出れるって決まった瞬間は何が起こったのか分からなかった!!

あのエントリーの数の中で勝ち残った私たちの投票期間の日々は壮絶やったから

なんか泣くことも喜ぶこともできなくて

ぽかーーーん。ってなりました笑

 

 

でも決勝に出れたはいいけど何も結果を残せませんでした。

自信はありました。賞は取れると思ってた。

泣きました。打ち上げは地獄だった。

喜びの頂点からどん底に落ちた気分でした。

 

 

でもその気持ちを持ったのは

Baby Leaf全員ではなかったと思っています。

 

 

これが私たち3人のボタンが食い違った初めだと

思います。

 

 

そっからどんどんボタンは食い違ったまま進んでいって

水都音楽祭の頃にはもうボタンもボタンをかける穴もなくなっていました。

 

 

私にとっては"Baby Leafの最後の頑張りどころ"で

3年間の意地とプライドで勝ちました。

 

 

ボタンのかけ違いは気づいた時に慌てずゆっくり直していけば直ったと思います。

たいそんへの当たりもカツへの当たりも

どんだけ私が突っ走っていたとはいえ

もっとこう言えばよかった、あぁ言えばよかった。そう思うことがたくさんあります。

 

 

自分が今落ち着いて冷静になるととてつもなく反省します。

 

 

でも私も余裕がなかった。一生懸命だった。売れなきゃって。

でもこうなると元も子もないってことあの時はまだ分かりませんでした。

 

 

ボタンは食い違ったまま彼らは彼らの最後まで頑張ってくれました。

 

 

そして新しく一緒にやりたいと言ってくれたドラムがバンドを立ち上げてくれました。

でも12/15 姫路BETAでのライブでのアクトが決まらなかったのか、お金なのか、そのライブが白紙になっていて当の本人もいなくなり

一人になりました。

 

 

12/15ってね、

Baby Leafが初めてタイトラで企画うった日なんですよ。

偶然なのかなんなのか( 笑 )

 

 

そこからはもう、辞めたい。しかなかった。

 

 

早く辞めたい。楽しくない。

打ち上げも、ライブも、なんにも楽しくない。

2人が居たからよかったんだって

なんか意外と大事にされてたんだって

居なくなってほんとに感じました。

 

 

でもここで投げ出したらさ

もう多分2人には一生会えないし向ける顔もないし

バンドの世界には戻ってこられないと思ったの。

 

 

だからやり切りたかった。

 

 

"シンデレラ。のリリースツアーファイナル 東名阪企画しよう"やりたかった。

 

 

無謀すぎるって分かってたけどやりたかったんですよ。

名古屋はじょーぶくんに手伝ってもらって組んでもらいましたが東京大阪は企画を打っています。

そして最後に神戸に行きたかったから神戸も増やしました。

 

 

それでもやりきることが私にとっては大きなことだった。大切なことでした。

 

 

3年間、たくさんの人にお世話になり、迷惑もかけ、傷つけたり、傷つけられたり、なんかもう詰め込みに詰め込んだみたいな3年間でした。

でも本当にいろんな人に愛され育てられ、人生の中で一番幸せな時間を過ごせたと思います。

 

 

長くなりましたが、本当にBaby Leafを支え、愛し、何より楽曲を聴いてくれていた皆さん

本当にありがとうございました。

 

 

今後は一旦休憩して深呼吸して

またいつかあの舞台に1人のバンドマンとして戻れ

る日が来ますように。

まずはいい女になって出直してきます!!笑

 

 

今日が本当の意味でのBaby Leafの終わりだね!

 

 

今まで本当にありがとうございました!!

f:id:swim-aya1205:20180308115432j:image